昭和50年3月16日 朝のご理解
入力者 大坪れい
15節・・・。ご理解第15節「氏子が真から用いるのは神もひれいじゃが、寄進勧化をして氏子を痛めては、神は喜ばぬぞ。」寄進勧化をして牛氏子を痛めては、お供えせよ、お供えせよと、例えばいうてお供えさせて、ん~氏子を痛めては神は喜ばん、けれども氏子が真から用いるのは神もひれいじゃが、と仰る。だから神様の御ひれいを受けるということ。だから氏子が真から用えるということは、神のひれいにあうことができる、神様の勢い、神様のお喜び、しかも生き生きとした神様のお喜びに触れることができる。こうして御神縁を頂いて、お参りをさせて頂いておるから、ね、時にはあ~勧化、天地に対する勧化もせにゃならん、お供えもせなきゃならんというようなことではなくて、真から用いる、そうさせてもらわなければおられないというのが、私は真だと思うんですけれど、そうさせてもらわなければおられないという、いわば用え方。これは神様も、非常にお喜びになるということが分かります。神もひれいじゃがと・・・。
昨夜は、富久信会でございました。( ? )の、もう3回目、3ヶ月目ですか、ん~いわゆる福信会に参会させてもらう、感じさせて頂いて、まぁ( ? )え~出てみえて、それが少しずつ、ん~いうならば( ? )してきたというか、ん~富久信会に参会さして頂いたおかげで、色んな事が分からせてもらう、またあ~おかげ、これがあ~福信会の精神であろうかといったような精神を分からせてもらい、自分の頂いておる商売の上に、それを現して、それが少し、現われ始めてきたと言ったような、( ? )あ~5、6人の方によってなされておる。で、それを基にして、まぁ色々検討させて頂いて、昨日、熊本の日奈久の教会の、朝から電話がかかってきました。え~昨日、信者で富久信会に是非おかげを頂きたいと、いっておりますから、よろしくお願いしますとお届けがあっとりました。で、自動車二台に便乗して、先生共8名の人たちが、お参りをしとりました。
え~もう本当に生き生きとした信心に、まぁ触れさせて頂いたわけですけれども、その中に、福岡の松岡さんが、こういう発表をしておられました。最近、あすこ、道が広、広くなるために、もう家が取り除かれてしまって、自分のところだけが、まだポツンと残っておる。ですから、あの客足も少なくなるだろうと、普通からいうと思うところですけれども、売上げは少しも、変わらんようなおかげを頂いておるという、ん~発表でした。それで皆さんお話された後に、それぞれのそのおかげの、んなら、こういう信心をしておるから、おかげを頂いておるんだというようなところを、まぁ一人一人の信心者、発表者の中から、それを、まぁ( ? )して頂いたんですけれども、ん~なら、松岡さん当たりが、その繁々とお参りになるわけでもない、ただもう25年間のいわば、信者ですけれども。え~取り立てて、どうというような、あ~信心はなさっておられない。まぁ月のうち、福岡から( ? )、そん代わり家族中で、まぁ5、6回ぐらいお参りなるでしょうか、ね。それでえ~大体、え~あの、福岡の唐人町ですか、で、あの商売を始められるようになって、段々やっぱ繁盛のおかげを頂いた。それ今んところは、だいただいは、もう売上げも減らなきゃならないような状態の中にありながら減らないと。そういう基はどこにあるか、ただ合楽に御神縁を頂いているからだけではなさそうだと、言うわけです。
それで私は、あの尋ねたんですけれども、「松岡さん、あなたんところで、いつもあの、月次祭たんびに、あの、福岡からお米のお供えがあります、現物せんときには、あ、そのお米のごく米料というお供えをなさいます。これはもう長年続いておるわけです。大体あの福岡、ね、田舎の合楽に、福岡の( ? )物を、ま~た持ってくるて、なんて言うたる風なお供えが、ありゃどういう訳ですか?」と、私はなぜ福岡からお米のお供えをなさるか、長年のことじゃけども、その訳は知らなかった。それで昨日初めてそれを「実は、あの椛目時代にね、ここはいつも大体お食事が2食ですが、必ず朝だけは、あの御粥食をなさるという、あの時代に、家内と話し合わせてですね、俺達が硬いご飯どん食べよったんじゃ、あいせ、親先生に対して相済まんぞというて、夫婦で話し合って始めたのが、そもそもお米のお供えをしようという、きっかけだったというわけです。」ね、いうなら教会思いというか、親先生思いというか、そういうあの、切実心が25年間、細々ながら続いておる、そういうところがやっぱ人の真似んできん、そういうところが、やはりおかげが続いておる、いや、益々ん~おかげを頂いておる訳が、そういう所にあるのじゃなかろうかと、こう、まぁ言うたことでございました。ね、
やはりあの、続くということは素晴らしいことですよね、しかもその発端が素晴らしいです、ね。合楽に御神縁を頂いて、おかげを頂いとる親先生は、毎朝お粥を頂いておられる。しかも2食だ、家族中の者が。ね、それで俺達が固いご飯を頂かれておるということは勿体無い。そこでまぁ、日々自分達の食米の中からでしょうか、溜めに溜められたものが、月次祭ごとにお供えになっておられる、それが25年間続いておるという、これこそ私は、ね、氏子が真から用いるというのは、そういうことだと思うんです。ね、誰から言われたわけではない、しかもそこにね、情感がる、ね。教会と松岡さんとの中に、その一つの、教会愛といったようなものが感じられる。
まぁ~、え~北野の大和さんが発表しておられました。ね、もう前に、畳屋さんをなさっておられますから、どうしても様々な建築の、うちの一番最後に言われるのが畳です。そこでどうしても、大工さんとの繋がりがなからなきゃでけん、そこで何々建設といったような、あの~( ? )なさるところなどには、いつも出入りさせて頂いて、「どうぞ、よろしゅう」というて、そのまぁ、お仕事をもらうと、こういうわけなんです。それを久留米の佐田さんが聞かれてですね、「大和さん、そげなんこつせにゃ、あの仕事がなかの?」と、言われた。ね、わざわざ、なら人間に頼んで届かんでも、ね、いうならば神様におすがりしていきゃ、ようわないの」といわんばかりの事を聞いたときから、自分はその人に頼むということを辞めた、辞めてね、今は、おかげ頂いておるが、もう次から次と仕事が絶え間が無いという発表をなさいました。ね、だからこれは、合楽の信心の一番素晴らしいのは、もうそこんところが明抜けしていくことなんですよ、ね、こうならんともすれば、ちゅうならず、ちゅうならんともすればこうならすと言ったようなね、中途半端な生き方からです、もう本気で例えば、一時は親に不幸をしてでも、神に孝行をする、神様一途というような、生き方在り方にならせて頂くということ、その後に、親に孝行ができるという生き方。そこを例えば、大和さんは、あ~まぁ、完全と「はぁ、ほんにそうだと」気づかれたわけです。佐田さんに言われてしたのじゃない、そのヒントを与えた、て頂いたところから、ほんにそう、自分は神様にもお願いしとるばってん、何々建築さんにも、どこどこ大工さんにも頼みよるということに気づいたわけなんです。ほんに神様一本でいくのが本当だと気がつかせて頂いたら、ね、あちらこちらに頼みに行くこともいらん、おかげで仕事は次から次と、しかもタイミングよう、仕事が続いておるというのです。ね。
これなんかは、あの、氏子が真から用いるという、ん~ね、自分が本然として、神様一心、神様一本に自分の心を向けていかれる、そこに神のひれいを受けられないはずがないという感じがいたします。一番最後に、もうみんなが感動しましたのは、え~日奈久の教会の、ん~ご信者さんが発表なさったことでした。始め、子供のん~それこそ九死に一生といったような、あ~難儀の中におかげを頂いて、それがそもそもの始まり、いわゆる日奈久教会の、御ひれいの発端を作られたという、上野さんという方(?)、もうその、第一もうその態度にね、もう惚れ惚れといたします。もう実にその、謙虚なですね、もう私のようなものが、私のようなものがと、自分でもいっておられますように、自分は人よりも、第一、頭が悪いし、腕もないし、力もないし、ね、それでもね、信心する前から、兄弟5人おりますが、兄弟の中で、一番私がつまらんとこう言う。ね、つまらんから、人からも色々非難を受けるけれども、けれども親に孝行したいという一念だけは、いつも燃やし続けておったといわれる。親に喜んでもらいたい、親に安心してもらいたい、喜んでもらいたいという、その思いだけは燃やし続けておる。それで偶々、子供の病気から、ご神縁を頂いて、お話を頂かせて頂いたらです、たい、第一に、天地の大恩に感動したち、ね、もう一番初めにお参りをさせて頂いて、教会を出てすぐ、ね、あの、ん~い、田んぼですね、稲、ちょうど稲田を見せて頂いて、はぁ~本当に今頂いたばかりのお話の中からです、もうとにかく今までは、ね、ただ、はぁ~立派に実っとるというような見方だけしか、でけなかったんだけれども、この実りが、天地の御恩徳によって、ここまでお育てを頂いておると思うたら、感動が湧いたちゆう。初めて参った時です。天地の御恩徳に感動された。それから、商売の上にも色々と、おかげを頂いて、お願いをさして頂いて、お取次ぎを頂いて、ね、良いことばかりはなかった、信心しとって、どうしてそういう事が起こってくるかというようなことも続いたと。けれどもそえれがね、とにかく有り難かったと、そして自分のお導きをする方が、一人ひとりが助かっていった。ね、
お話を終わられてから、私が皆さんに、今の上野さんのお話を頂いて、どこに上野がおかげを受けられる基があるかと、いうことを、皆で検討させて頂いたんですけれども、本当に、そのなるほどおかげを受ける人は違うというような、その話しの端々から感じられる、ね。そして朝の御祈念にお参りをさせて頂いて、一日御用に御使い回しを頂いて、夜の御祈念にお礼を参拝させて頂くのが、御神縁を頂いて、此の方、今日まで続いておるといわれる。その間に、家族中のものが信心するようになり、兄弟たちが次々と、いわば、一家をあげ一家、親戚をあげて信心させて頂くようになり、で、私が「大体、上野さんのところから御教会までは、どのくらいの道のりがありますか?」ち言うたら、「3里離れとります」と言う。いうなら3里の道を毎朝、朝の御祈念にお参りをさせて頂いてです、そして夜はまた一日のお礼参拝をされるのが日課だと。それはですね、あのこれは富永先生がいつも言われるですけれども、本当にもう九州中、( ? )、熊本中でです、日奈久の皆さん達、兄弟ぐらいな信者はおるまい、あげなおかげの頂き方をするものはおるまいという、評判、定評があるくらいだそうです。私共も本当に、そのお話を聞きながら、あ~、例えばあの~ん、先生があ~した病人でしたから、ね、もうあの医者が、難しいごたる病気をなさいましてから、入院されておる時なんかは、それこそ一日の御用を終わってから、そして合楽に、もうここに着かれるのは、いつも22時頃です、御祈念が済んで、お参りになる。そのお参りの、お参りされるというだけじゃなくて、そのもう( ? )おられるというかね、もう本当に神様にすがらなければ立ち行かんという姿勢というものがね、感じられるような信心でしたが、これなんかを見たり聞いたりさせて頂いて思うのにです、氏子が真から用いるという信心の権化のようなものを、上野さんの信心から感じました。なるほどこれでは、あの熊本教会にです、あのごひれいがたっておるのは、こういう信者がおるからだと、改めて思わせて頂きました。ね、
言うたからするのじゃない、そうさせて頂かなければおられぬもの、それが私は、氏子が真から用えるということだと思うです、そこには神のひれいがある、ね、氏子を痛めては神は喜ばん、ね。お供えせろ、お供えせろ、御用せろ、御用せろと言われてするのでは、いうならば信者に無理がいく、無理がいっては神は喜ばんと仰るが、んなら、それを反対に引っくり返したらです、神様が喜びなさるというのは、んなら言われてするのじゃ~ない、自ずから、そうさせてもらわなければおられないという信心、ね。そう御用さしてもらわなければおられんという、氏子が真から用えるということ、それは神もひれいじゃがと言っておられます。神様の生き生きとした喜びがです、ね、そこに頂けれるということを感じます。今日は偶々、この15節を頂きまして、富久信会の中から、( ? )を発表なさった方の、松岡さんの信心といい、ね、上野さんの信心といい、ね、そういう私は、あの内容が、真から用えるのだということです。
え~嘉朗さんが発表しておられますことの中に、あの私は、ん~若先生と行を共にする、若先生と一緒に、信心の行動をさしてもらう。だから若先生が落ちられるなら自分も落ちてもよい、若先生のためなら命もというようなものをいつも感じます。松栄会が発会される時に、ちょうど飛行士が、飛行機の上から落下傘を抱いて飛び降りる、あの度胸がなからなければいけないと言われておるが、私は若先生の前のだけはいつも、いうなら落下傘を抱いて飛び降りる度胸はできておるように思うというようなことを発表しておりました。ね、それは落下傘が開(?)開けば、命は助からんです。けど中々、そうしてやっぱし思い切らなきゃできないと思うんですね、やっぱ決死の状態というものがです、もうままよという腹がでけなければ、とても飛び降りはできないと思う。そういう私は信心にはね、そういう潔さがなからないかんです。ね、そして、なら松岡さんのそれといい、ね、いわば熊本の上野さんの信心といいです、ね、真から用えるというものが、ね、もう心の底から、そう感じて、それを実行に現しておられるというところに、ね、隆々たる神のひれいに触れる、神のひれいに会うことができる、おかげになってくると思うですね。どうぞ。